ふと考えた事

 

傷つきやすかったり、人の目が気になってしまうのって。

自分に矢印が向きすぎているからだと思う。

「本当にこれで正しいのか」「他人から見ておかしな存在ではないだろうか」とモヤモヤモヤモヤ。

常に自分からもう一人の自分が飛び出して、他者と同化し、他者と同化した視点で、自分を見つめる。ジャッジする。しかしその判断は正しいものなのか?

オードリー若林さんの著書に、「外の世界のジャッジが正しいとは限らない」という一文があったが、まさにこれだと思う。

自分の場合、「外の世界」ではなく「他者と同化した自分」にあたるのだが、わざわざ飛び出していった自分のジャッジは毎回間違えていないか?ただの被害妄想と化していないか?しっかり判断することを、人の顔色を窺いがちな人間は怠ってはならないと思う。

 

 

そもそも、なぜ、自分が自分から抜け出して、自分の看守と化してしまったのか。

理由はさまざまあると思うが、自分の場合は「親」の存在があると思う。

常に世間体を気にし、服装や言動を細かくジャッジされ、かつ否定されることが多かった自分にとって、「率先して自分が自分の看守となることで結果的に自分を守る」ようになることはごくごく自然なことであったのではないかと思う。

そして他者化することで、他者が好むであろう自分になることで、人に嫌われる経験もぐっと減ったのではないかと思う。

 

しかし、その看守は、大人になった今でも、そばにいる。

そして自分を苦しめ、ずっと牢屋にいれたままである。

 

そろそろ、出たい。

 

出ていいと思う。

 

 

でも、出方がわからない。