ふと考えた事
傷つきやすかったり、人の目が気になってしまうのって。
自分に矢印が向きすぎているからだと思う。
「本当にこれで正しいのか」「他人から見ておかしな存在ではないだろうか」とモヤモヤモヤモヤ。
常に自分からもう一人の自分が飛び出して、他者と同化し、他者と同化した視点で、自分を見つめる。ジャッジする。しかしその判断は正しいものなのか?
オードリー若林さんの著書に、「外の世界のジャッジが正しいとは限らない」という一文があったが、まさにこれだと思う。
自分の場合、「外の世界」ではなく「他者と同化した自分」にあたるのだが、わざわざ飛び出していった自分のジャッジは毎回間違えていないか?ただの被害妄想と化していないか?しっかり判断することを、人の顔色を窺いがちな人間は怠ってはならないと思う。
そもそも、なぜ、自分が自分から抜け出して、自分の看守と化してしまったのか。
理由はさまざまあると思うが、自分の場合は「親」の存在があると思う。
常に世間体を気にし、服装や言動を細かくジャッジされ、かつ否定されることが多かった自分にとって、「率先して自分が自分の看守となることで結果的に自分を守る」ようになることはごくごく自然なことであったのではないかと思う。
そして他者化することで、他者が好むであろう自分になることで、人に嫌われる経験もぐっと減ったのではないかと思う。
しかし、その看守は、大人になった今でも、そばにいる。
そして自分を苦しめ、ずっと牢屋にいれたままである。
そろそろ、出たい。
出ていいと思う。
でも、出方がわからない。
社会人2年目の学び
今回は、社会人になってから学んだあれこれをことわざ風にして紹介したいと思います。
※長年働かれている社会の大先輩方には「若造がなんか言ってらあ~」と、まだ社会に出ていないキラキラきゃぴきゃぴ学生さんたちには「ふ~ん、頑張ってんじゃん」くらいに捉えてもらえれば幸いです。。。
①上の言う事 2割は長せ
意:どんなに優秀な上司でもたまにミスはするもので、100%上司が正しいとは限らないので2割くらいは聞き流し、ゆとりを持って働こう、の意。
これね~。そりゃ上司だから従うんだけど、後々、自分が取ろうとしていた行動の方が正しかったじゃーん、なんて思うこともたまーにあるんだよね。たまーにだけど。
上司を責め立てる感情は一切ないけど、自信のない若手の我らなんか特に、自分の考えを常にこう、「役立たない無意味なもの」として捉えてしまいがち、そして押し殺してしまいがちだと思う。
そんなときこそ「2割は長せ」。なんでもかんでも従わなくていいの、と気楽に考えるのって意外とめちゃくちゃ大事ってこと!!(自分へ言い聞かせる)
②無は無
意:無表情に意味はない。無感情であるだけだ、気にするな、の意。
これって、仕事以外にも言えることなんだけど。目の前の人が無表情になった時、自分の場合、めちゃくちゃ焦る。「あれ、面白くなかったかな」「帰りたいとか思ってそう」「てか実は嫌われたりしてんじゃないか」。。。と次から次へとネガティブネガティブ。心がネガネガ王国になってしまいがち。
TV見てる時もそう。ある番組で、芸人Aがエピソードトークしてた時、その場にいた人達の中で芸人Bだけ思いっきり無表情だった。
とっさに自分は考えた。「あ、この二人仲悪いんだわ、、、こんなに周囲が笑ってる中笑わないってあり得ないもんな、、、」と。「でもどこでどうAのこと嫌いになったんだ?確かにこの二人、同じクラスにいたら交わらなさそうな見た目してるけど、、、芸風も異なるし、、でもAいい人そうだけどな、、、」ネガネガネガネガ。
しかし!しかしだ。
その後、違うエピソードを話し出したAに対し、今度はものすごく楽しそうな表情を浮かべて突っ込みを入れだしたB。「あれっ!?仲いいじゃん、え、なんで!?」そう、完全に自分の勘違い。思い込みが強いだけ。さっきまでのBの無表情は「嫌悪」の感情なんて(きっと)1ミリも含んでおらず、「ただぼーっとしていた」だけだったのかもしれない(これも勘違いだったら埒が明かないが)。
つまり、無表情に何らかの意味を勝手に与えるな、ということが言いたい(自分自身へ)。勝手に相手の表情だけを見て、心の吹き出しに言葉を埋めて、自分を敢えて苦しめるような解釈をするな、と。
無は無。それ以上でもそれ以下でもない。ただの無だ。
③恥をかいたら「ありがとな~」
意:仕事にミスはつきもの。失敗して恥ずかしく思っても「ありがとな~」とミスに感謝、そして受け流す~
人間、プライドってものがあるから、仕事でミスしたり恥ずかしい思いするとどうしても「あちゃ~恥ずかしすぎる死にてえ~~穴探せ~~今すぐ入れる穴探せ~~」となってしまうもの。
ただここで、自分のミスを脳内再生しまくって「死にてえループ」をしていたら勿体ない。だって思い出せば出すほどミスが消化される、なんてことはなく、むしろよりくっきりと記憶として定着するのだから・・・。それならばミスに「ありがとな~」と軽く一礼、あくまでも軽ーく。そして繰り返さないように反省はしっかりするけど、あとは受け流す~。終わり!!
ちなみに、この「ありがとな~」、某芸人さんのラジオでの決め台詞。あれくらい軽ーく、自分をざっくざく傷つけることなく心の中で唱えるのがコツ。
もう、ほんっと仕事でミスばっかりしちゃうからさ。「いや、そんな自分鼓舞する暇あったらミスしないよう気を付ける方に時間を割けよ」、と思われる方もいるかもしれないけど。再びミスしない為にもまずは「平常心」を大事にしたい。それが自分です(メンタル最弱)。
それじゃ。
お悩み1.「劣等感がぬぐえない」
※本ブログは、からあげくん自身が日々抱える悩みを、世の中のありとあらゆる知識や情報を通じて解消する(した気になる)ブログです。
同じような悩みを抱えておられる方が、少しでも心安らぐ内容になっていたら、幸いです。
お悩み1.「劣等感がぬぐえない」
日常生活において人とのかかわりを持っていると、どうしても劣等感がぬぐえません。英語が話せる帰国子女の同僚、彼氏がいて毎日幸せそうな友達、顔が広く博識かつ話のうまい上司、、、に対して自分は何一つ持っていないなぁ、強みが一つもないなぁ、強みがないまま生きていて情けないなぁ、、などと次第に自己否定に陥ります。
だからといってこれといった努力をするわけでもないのです。英語を必死に勉強するわけでも、彼氏を作ろうとマッチングアプリを鬼利用するわけでも、説明力を高める話下手解消セミナーに参加するわけでも、ない。
そんなこんなで、「劣等感を感じる自分」にも「劣等感を感じつつも行動しない自分」にも、イライラモヤモヤ、飽き飽きしてしまう自分が常にいるのです。
こんな私、どうしたらいいでしょうか。
回答1.「莫妄想-まくもうぞう(妄想すること莫れ)」
こちらは、禅の言葉です。
goo国語辞書によると、この言葉の意味としては、
「妄想することなかれ。悟りを得るためには思惟分別する心を放棄せよということ。」
とあります。仏教では、この「思惟分別」が悪いこととして捉えられており、妄想を交えた主観に頼った物事の識別はよろしくない、されているようです。
自分で勝手に他人と比較し、他人の長所・自分の欠点を決めつけ、「自分は劣っている」と認識して嘆く。自分の心が作り出した不安や悩みで頭を一杯にする。
しかし、これらは最初から最後まで「妄想に過ぎない」のだから、物事の見方を改めて、余計なことは考えないよう努めましょう、というのが「莫妄想」です。
何か不安を抱えた際には、果たして自分が抱えている悩みや不安は正しいものなのか、自分の妄想に過ぎないのではないか?と自問自答することが大切ですね。
回答2.「「いまなんで自分は納得できていないんだろう」と考えると、だいたい最後は「いま、自分が努力してねえんだな」ってところに行き着く。」
こちらは南海キャンディーズ・山ちゃんの言葉。
以下、ダウィンチニュースの記事から引用しています。
★★
嫉妬や劣等感を覚える背景には、「自分の努力への自信のなさ=努力不足の自覚」が影響している、と山ちゃんは語ります。だからこそ劣等感を劣等感のままにせず、自己の足りない部分を分析したうえで、あとは正しい努力を重ねるほかない、と。
そうすることで、マイナスの感情もプラスに転換することができる、といった考え方みたいです。
この部分、まさにお悩みの「劣等感を感じつつも行動しない自分」に当てはまりますね。自己の足りない部分ばかり見て嘆くのではなく、まずはできることから始めてみるのもいいかもしれません。
回答3.「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
こちらは樹木希林さんの言葉。
他人と自分を比べず一喜一憂するのではなく、謙虚に淡々と過ごす。日々起こる悩み苦しみはあまり深刻に捉えすぎず「面白がる」視点を大切にする。
…悩みを抱えると堂々巡りしてしまう私には少し難しい気もしますが。
中には深刻に捉えるべき問題もあるかもしれませんし、深く考えること=圧倒的悪、ではないと思いますが、自分で自分をより苦しめるような思考でがんじがらめになっているとしたら、フッと力を抜いて「自分がより楽になるものの捉え方をする」のもいいかもしれませんね。
最後に、今回のまとめです。
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●自己卑下妄想をやめる
●自己を分析し、自分が納得するまで正しい努力をする
●目の前の物事をあまり深刻に捉えすぎない
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はい、この悩み今日まで~!
それでは!